法隆寺の雲形組物の源流は飛騨なのかも・・・

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また、巡って飛騨に行き当たった・・・

雲形組物のことを調べていたら、雲形組物が飛騨に存在しているというものを見つけました。
そして、それを見てずっと以前から雲形組物が受け継がれてきているというように思ったのです。法隆寺関係の法隆寺・法起寺・法輪寺と法隆寺系の寺院にしか見られないとされていた雲形組物が飛騨に存在しているのだということでびっくりしました。
もともと飛騨旅行から始まって、今回玉虫厨子を調べてみようと思ったのに、飛騨に帰ってきてしまった感じです。

飛騨の雲形組物

でもなんとなく腑に落ちない…そんな気持ちもちょっとありました。
少し間は空いたのですがもう一度飛騨の雲形組物について調べてみました。
そうしたら、飛騨古川にはたしかに雲形組物はあったのはありました。

しかし、昭和29年からもともと寺社に使われていた雲形組物を民家に取り入れた、それがこの地方だけに雲形組物があったということのようです。そのような使い方をしているところがこの地方だけということでした。

もともと、飛騨の方の雲形組物の事について書かれていたことが少なくて、はっきりしたことがよくわかっていなかったけど、以前からずっとこの地方に雲形組物自体があって伝わってきていたのだろうと(新しいものも作られながら)思っていました。

なぜこの地方に雲形組物が使われたのかというと、雪が多い地域で、建物の屋根が大きく張り出して屋根を支えるための技術が重要になったということです。

法隆寺と飛騨の雲形組物

法隆寺が建てられた頃から言うと飛騨の雲形組物は、実際関係がなかったようにも思えます。

当時渡来人が寺院建立していて、それを監督したり五重塔などの巨大な心柱技術や巨木の扱っていたのは「飛騨の匠」だったという説もあるそうです。
それならば、なんだか腑に落ちると思います。
もともと飛騨の匠が扱っていたのなら、斑鳩だけでなく飛騨にも何か痕跡のようなものが残っていて当然のように思います。
実際に使われていなくても何か飛騨にも伝えられていたのかもしれないですね。
その他少しべてみると聖徳太子のゆかりの地が、飛騨にはいくつか残されているようです。
なんだかもっと奥は深いのかなという感じがしました。
 そして、いつの間にか飛騨がとても気になる地になってきてしまいました。
※この記事を最初書いた後に、飛騨の雲形組物が昭和29年からのものであるということを知りました。
それを踏まえて記事を一部書き直させていただきました。

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