鞍作止利の伝説(飛騨)と法隆寺

高山市公式観光サイト

飛騨には鞍作止利の生誕の地であるという伝承があるそうです。

鞍作止利といえば法隆寺の釈迦三尊像を作ったとされている人物で、銘に刻まれているということです。

鞍作止利(くらつくりのとり)
飛鳥時代の仏師。司馬達等 (しばたつと) の孫といわれる。飛鳥寺の丈六仏(飛鳥大仏)や法隆寺金堂の釈迦 (しゃか) 三尊像の作者。日本最初の本格的な仏師で、中国の北魏 (ほくぎ) 様式の流れをくみながら、いっそう洗練された作風は、止利様式とよばれる。止利仏師。生没年未詳。(出典:デジタル大辞泉

当時、飛鳥の諸寺の建立などにも関わり、蘇我氏や聖徳太子とも深いつながりがある。

法隆寺の建立などのも深く関わっているであろう人物に飛騨の山中に生まれたという伝承があるそうです。飛騨の歴史発見(こちらを参考にさせていただきました。)

鞍作止利はずっと帰化人(大陸から渡来してきた人)だと思っていましたが、こちらを読ませていただくとなんだかやっぱりこちらのほうが正しいのかなという気になってきます。
というか、祖父が日本に来ていたので日本生まれということなのでしょうね・・・

伝説が紹介されていて、それだけ伝承があるので、鞍作止利が飛騨の山中に生まれたというのもあながち間違ってはいないのかもしれません。

けっこう夢中でこちらのブログ読ませていただいたのですが、けっこう長いのでどこを抜粋すればいいのか迷いました。(一部です)

忍が満月の夜に川面に映った
月を掬って飲みほすと身重になり、生まれた子供は首が鳥に似ているところから鳥と名づけられた
という伝説である。これを裏付けるかのように和漢三才図会(江戸時代正徳2年成立の図入り辞典)に、
止利仏師は司馬達等の孫であるが、飛騨国鞍作の手為名の子である。
天生に来て神女と結ばれ子が生まれた。これが飛騨工となり、と載っている。
更に、それにまつわる伝承も幾つかある。いずれにしてもそれらを実証するものは残っていないが、
飛騨の山村に長い間伝えられてきたのには、やはりそれなりのことがあってのことと思う。
また、止利仏師生誕伝説があるのは、全国でもここだけという。

飛騨の歴史発見の中で匠学会が発行した「新飛騨の匠物語」という本に載っていたと紹介されています。

鞍作止利が慣れ親しんだ飛騨から雲形組物を持って行ったのなら、最初から死の国と関係なく作ったのかもしれないし。死の国のイメージで作ったものを持ち帰るという行為をするだろうかというのは、はなはだ疑問に感じました。

自分のところに死の国を作ったり持ち帰ったりということは一般的な考え方で言うと、誰もしたがらないように思います。

やっぱり鞍作止利と飛騨の関係性によってもいくぶん事情も変わってくるように思います。

昔のことすぎて真実はやっぱり闇の中と言えそうな気がします。

わからないからかえって想像もできたりするので、面白いのかなとも思うのですが・・・

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