アクセサリーを付けない位の高い仏像(如来)はにもアクセサリーをつけるものもいる

如来の中でも装身具をつけるものもいます

以前東京博物館で運慶展が開かれ話題になった仏像の一つです。

こちらは大日如来で運慶のデビュー作といわれています。

よく見ると・・・???

この前の記事で如来のような位の高い仏像というのは釈迦が出家した後の姿をモデルにしているので、質素な布一枚を身に着け装身具(アクセサリー)を身に着けず螺髪(らほつ・パンチパーマのような髪型)だということを書きました。

でもこの大日如来を見ると、きらびやかなネックレスなどのアクセサリーを身に着け宝冠をかぶり、髪も高く結い上げています。

大日如来は如来なのになぜ装身具(アクセサリー)をつけているの?

大日如来は密教(真言宗・天台宗)の如来様で全宇宙の中心として崇拝され、すべての如来は大日如来から発生していて、諸仏の王であると言われています。
すべての命あるものは大日如来から生まれ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられているのです。
そこで、例外として大日如来は他の如来よりまた違った存在として装身具を身に着け、特別な存在であるということをアピールしています。装身具をつけるということは、より神格化されるということなのです。

大日如来のほかにも例外はあって、薬師如来も手に薬壺を持っています。如来は基本手には何も持っていないのです。なので薬師如来も例外であると言えるのでした。

ただ、時代の古いものだと薬壺を持っていないものもわりとあるそうです。そういう場合には薬師如来の脇にいる仏、日光菩薩や月光菩薩(脇侍)がいる、その周りに十二神将(眷属)がいるかどうかで薬師如来かどうかわかるということです。



まとめ

仏像の世界で装身具というのは意外と大きな意味を持っているのだなということを感じます。
大日如来の場合は他の如来の中でも特別なものであるということを表すものの一つが装身具ということでした。

そして、まだ修行中である菩薩は自らの飾り(装身具だけに限らず)を捨てていって、悟りを開き如来となる。この場合装身具=迷いやしがらみといったものといえるのかもしれません。

また、菩薩や明王や天部の仏像も装身具をつけること自体もまた、在家の人々とは違う特別な存在の象徴になっているのかなと思います。

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