天寿国繍帳を調べてみて、古代史の謎・改竄された系譜があった。

この前、京都博物館で「特別展覧会 国宝」があるというのを見て漠然と展示されるもののことを少し調べてみようかなと思っていました。

名前を見ただけで知っていると思うものや、写真を見たらなんとなく知ってるなというもの。全然わからないものといろいろあります。

パッと見て一番気になるのは雲中供養菩薩。平等院にいった記憶がまだ鮮明なので気になるというのもあります。

あとは、と思ってみていて天寿国繍帳が気になり少し調べてみました。

古天皇三十年(622)、聖徳太子の妃である橘大郎女が、太子薨去ののち、図像をつくって太子往生の姿をお偲びしたいと、宮中の采女に命じて、太子が往生なされている天寿国のありさまを刺繍させたのが天寿国繍帳ということです。

当時のものがそのまま残っているのではなくて一部が残されているといった感じです。

また、鎌倉時代など修復された時もあったそうで、現存しているものの中には後になって作られた部分もあるようです。

中宮寺は法隆寺に行くと近いというのもあってついでと行くという感じで、何回か訪れたことはあります。

法隆寺が見ごたえたっぷりなのに対して、中宮寺はあまりなにもなくて・・・

本尊の弥勒菩薩と天寿国繍帳があって。それくらいで。

弥勒菩薩は魅力的ではありますが、私はやっぱり弥勒菩薩は京都の広隆寺の弥勒菩薩のほうが好きで・・・

つい比べてしまいます。

そんな感じのことを見ているうちにちょっと気になるブログを見つけました。

それによると天寿国繍帳には銘文が刻まれているのですが、その銘文自体は聖徳太子が亡くなってから100年もあとに刺繍されています。

なぜ没後長い年月を経てからわざわざ銘文は書かれたのか。

その時の権力者の歴史を自分の都合のいいように改ざんされているという感じです。

この時代の歴史の改竄というのは古代史の謎として昔こっていたころに本とかも読んだ記憶はあり、けっこう好きでした。

歴史も学校で習うだけでは面白みのないものに思われても、そういうミステリアスな部分がわかってくるとそこで表情ががらりと変わってきて面白くなってくるものだなと思います。

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