玉虫厨子の雲形組物は死者の国を暗示している⁉

雲形組物の雲は死の国をあらわす雲

玉虫厨子のことを調べていて気になったのが雲形組物。

そういえば以前図書館で法隆寺の本を眺めていて、そんなことが書いた記事があったなと思ってその関連性が気になりました。

金堂の雲形組物はもともと玉虫厨子の雲形組物を模して造られたということらしいです。

 

私は、そういう物質的類似に精神的類似を加えたいのである。雲、それこそ、法隆寺において再三再四くりかえされるイメージである。それは、山背大兄王(?-六四三)が殺されるとき出たという黒雲のイメージであるし、また、その雲にのって、太子一族が、極楽浄土へ昇天するというイメージでもある。私は法隆寺にのみ存在する雲形斗栱なるものの、その源は、遠く漢代の中国の影響に帰せられるべきものではなく、むしろ近く、『書紀』や『太子伝暦』に描かれる太子の一族滅亡のさいの黒雲のイメージに求められるべきことを再三再四力説した。(拙著『隠された十字架』参照、同じような雲のイメージが、出雲大社にある。

中略
高松塚古墳に描かれた雲は、そういう死の国を表わす雲にあると思う。

梅原猛氏『黄泉の王―私見・高松塚』新潮社

ネットで調べていた際に引用されていたのを見つけたのですが、以前読んだものとの記憶と重なりました。

また、もっと前に記憶はここにある梅原猛氏の『隠された十字架』だったのでした。読んだのもだいぶ前なので記憶があいまいですが・・・

 

 すべては謎

そして、雲形組物がもともと使われていた玉虫厨子。

玉虫厨子に描かれた捨身飼虎図のことが頭に浮かびました。 

捨身飼虎図山背大兄王と一族の末路が重ねられているのなら、その玉虫厨子に装飾として施されていた雲形組物があったなら、玉虫厨子と死の国が結びついていく気がしました。

そして、雲形組物は法隆寺・法輪寺・法起寺などの法隆寺系の寺院にしか残されていないそうです。

それが法隆寺系のお寺が山背大兄王と一族の末路を暗示しているからほかの寺院には関係がないので使われないだけなのか、意外とその当時としては珍しくなかったものが長い年月を経てそこだけになってしまったのか、ただそれ以降に新しいものが流行ってすたれてしまっただけなのか、それは定かではありません。

 

ひとかかえ大きな木
今回組物がどういうものなのかわかっていなければわからない内容だと思いますので、外部サイト様から引用させていただきました。
こちらのサイトの飛鳥様式というとこです。

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